数々の漫画を世に排出した日本を代表する漫画家の一人「石ノ森章太郎さん」についていろいろと書いていきますo(`ω´ )o
2018年の24時間テレビのドラマが石ノ森さんの物語になるということで話題になっていますね!
しかも石ノ森さんを演じるのがSexy Zoneの中島健人さんということで、石ノ森さんを知らない若い世代も知るきっかけになりそうですね!
おそらくアラフォーになる私の世代よりも、もっと上の世代の方のほうが馴染みがあるのではないでしょうか?
今回はドラマに合わせまして、もっと石ノ森さんについていろいろと調べてまとめましたのでどうぞご覧くださいo(`ω´ )o
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石ノ森章太郎の姉と息子である俳優は誰?
石ノ森章太郎とは?
数々の作品を出していますが私もその世代ではないので実はあまり知らないんです( ;´Д`)
石ノ森さんの作品というと思い出すのは「サイボーグ009」ですかね?
実は調べたら「仮面ライダー」も石ノ森さんの作品だとわかって驚きました!
仮面ライダーが発表されたのは1971年ですからすでに40年以上、もうすぐ50年にもなるんですね!
石ノ森さんが亡くなった後でも愛され続ける作品があるというのは素晴らしいことです( ´ ▽ ` )ノ
そんな石ノ森さんの原点となったのはなんだったのか調べみました!

出典 www.1242.com
- 石ノ森 章太郎(1938年1月25日〜1998年1月28日)
- 日本の漫画家、特撮作品原作者。
- 本名は小野寺 章太郎
- 宮城県登米郡石森町出身(現在の登米市)
石ノ森さんは本名ではなく、出身の「石森町」からとったペンネームでした。
当初は「石森章太郎」でしたが、誰も「いしのもり」と呼んでくれなかったために改名したんだそうです( ´ ▽ ` )ノ
晩年は東京都にお住まいでしたが、ペンネームを出身の土地の名前にするなんて故郷を愛していたんですね・・・。
また石ノ森さんはただの漫画家ではなく、昭和30年代から40年代の間、漫画の世界で新しい手法の開発者としてとくに目立った存在でした。
作風の中でも特にSF漫画で他への影響が大きく、各時点での新鮮な画面コマ表現と少女漫画にも通用する滑らかな線をもち、昭和40年代始め頃には「漫画の王様」と呼ばれていました。
現代でも素晴らしい漫画家さんはたくさんいますが、著しく漫画が発展した原点はこの時代から始まったように感じます。
また石ノ森さんの作品として思うのは、キャラクターが皆可愛いところではないでしょうか?( ´ ▽ ` )ノ
漫画はどうしても絵が同じようになりがち(目元や輪郭など)ですが、石ノ森さんの描くキャラクターは「皆んな違い、すべてのキャラクターに個性がある」ように感じます!
そしてすでにデビューから50年以上も経っているのに、色褪せている感じがないのも不思議な魅力ですね!
石ノ森章太郎の原点は姉だった!
どんな偉大な人物にもきっかけとなる出来事があります。
石ノ森さんは両親との間に、姉と弟2人、妹の5人兄弟の家族として誕生しました。
ちょっと分かりづらいですが、石ノ森さんは長男で2番目の子として生まれたというわけですね( ´ ▽ ` )ノ
実は初めは漫画家を目指していたわけではなく、当初は映画監督を志していたそうです。
3歳上の姉の「小野寺由恵さん」は病弱で外出もままならない身体だったため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが、漫画家を志す原点になったと言われています。
きっととても仲が良かったのでしょう!
見せられたお姉さんもとても喜んでくれたことが、石ノ森さんの絵を描く楽しさにつながったのでしょうね。
そして手塚治虫さんの「新寶島」に出会い、衝撃を受け手塚さんの大ファンになり、高校2年生の時に手塚さんの鉄腕アトムのアシスタントに着くようになりました。
その後のお姉さんですが、石ノ森さんの良き理解者として、トキワ荘に同居して支援していました。
1958年4月4日に由恵さんは午前中に石ノ森先生の部屋で喘息の発作を起こしてしまいました。
トキワ荘にはこの時、水野英子さんも赤塚不二夫さんの部屋にいたので、知らせを聞いた二人が石ノ森さんの部屋に向かっています。
状態が悪かったのですぐタクシーを呼んでいきつけの病院に搬送しました。

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やがて状態が落ち着いたとの事なので、お姉さんはそのまま入院させて、三人はトキワ荘へいったん戻っています。
そこで一息ついたので、石ノ森さんのほうから、近所の目白映画で「マダムと泥棒」が上映するので、観に行こうと言い出します。
映画を観終わりトキワ荘に着いたら、深刻な表情の赤塚さんのお母さんが出迎え、病院からお姉さんが亡くなったという知らせが来た事を3人に伝えたんだそうです・・・。
石ノ森さんのドキュメンタリー番組などでは、
「お姉さんの容態が心配で、不安な気持ちのまま現実逃避するように映画を観ていた・・・」
と、いったふうに演出される事が多いそうですが、実際の石ノ森さんは、お姉さんは完全に助かるだろうと信じていてリラックスした状態で観ていたんだと、一緒にいた水野さんが証言しているそうです。
お姉さんの死因は心臓発作で、24歳という若さでした。
発作を抑える為のモルヒネの打ち過ぎだったことが原因ではないか?と言われているそうです。
リラックスして映画を観ていたということは、今までも同じように発作を起こすことがあったのではないかと思います。
石ノ森さんの当時の気持ちを想像すると、とてもやりきれない気持ちになりますね・・・。
石ノ森章太郎の息子である俳優は誰?
石ノ森さんには2人の息子さんがいます。
長男は俳優の小野寺丈さんで、次男は石森プロ社長の小野寺章さんです( ´ ▽ ` )ノ

出典 twitter.com
小野寺丈さんは俳優意外に演出家や作家としても活躍し、石ノ森さんが亡くなった1998年の翌年に結婚もしています。
今では男の子2人の虹の父となり、子供達も子役やモデルとして活躍していますo(`ω´ )o
まさに華麗なる一族ですね!
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石ノ森章太郎と手塚治虫との関係に感動!
手塚治虫の認める天才だった!
石ノ森さんが漫画家の第1のきっかけになったのはお姉さんとのエピソードでした。
その後手塚治虫さんの漫画に出会ったことで、漫画の道に進んでいくわけです。
手塚さんが連載していた「漫画少年」に投稿してきた石ノ森さんですが、手塚さんは石ノ森さんを「天才的な少年の絵」と褒めていました。
その後手塚さんのアシスタントにつき、メキメキと腕を上げていきますが、アシスタント経験中には手塚さんは激務だったにもかかわらず石ノ森さんを映画に連れ出すなどしていたそうです。
そして、手塚さんが編集者に紹介したことにより、石ノ森さんは漫画家としてデビューすることになったのですo(`ω´ )o
手塚さんお墨付きの紹介ともなれば、将来売れっ子の漫画家間違いなし!と思われたわけですから、最高の状態でデビューとなったわけですね!
またお二人のエピソードとして手塚さんは
- 自身の漫画に石ノ森を度々登場させている。
- 石ノ森さんの結婚式の仲人は、遅刻するも手塚さんが務めた。
- テレビ映画「快傑ハリマオ」の漫画版では手塚さんが原作、作画が石ノ森さんで共作をした。
などプライベートにもお二人の関係が良かった様子がありました。
しかしながら手塚さんはかなり嫉妬深いことで有名です( ;´Д`)
嫉妬というのは「才能」の嫉妬ですね!
石ノ森さんが実験的な作品『ジュン』を連載していたところ、手塚さんがファンとの手紙のやりとりの中で
「あんなものはマンガじゃない」
と苦言を呈し、そのファンが石ノ森にそのまま伝えてしまったという内容でした。

出典 f.hatena.ne.jp
手塚さんを尊敬する石ノ森さんはかなりのショックを受けてしまい、
「すぐに(『ジュン』の)連載を打ち切りにしてほしい」
と編集部に言ったほどだったそうです。
尊敬する大先輩にそんなこと言われてしまったら・・・相当ショックですね( ;´Д`)
その話を聞きつけた手塚さんは石ノ森の自宅を訪れ
「自分でもなんであんなことをしたのかわかりません。本当に自分で自分が嫌になります。本当に申し訳ありませんでした」
と謝罪をしたそうです。
謝られる事にもビックリですね(笑)
他の漫画家にも嫉妬ばかりしていたのは有名で、嫉妬心があるからこそ素晴らしい作品ができるのでしょう。
しかしそんなことがありながらも、お互い刺激し合えるいい関係だったことは間違いありませんね!
まとめ
石ノ森章太郎の姉と息子である俳優は誰?手塚治虫との関係に感動!をまとめますと・・・
- 石ノ森章太郎は病弱だった外に出れない姉の為に、外での様子を絵に描いていた。
- 石ノ森章太郎の息子は2人おり、長男の小野寺丈さんは俳優をしている。
- 尊敬していた手塚治虫とか公私ともにいい関係であり、お互い刺激し合える仲だった。
この時代の漫画家さんは漫画を発展させた素晴らしい方ばかりですね!
それぞれ皆んなストーリーがあって非常に面白いです(╹◡╹)