今年の8月31日はイギリスのダイアナ妃が事故で亡くなって20年になる年になります。
私はまだ子供だったのですがこのニュースのことは覚えていましたし、かなり大きく報道していました。
でもあまりダイアナ妃の事は知らなかったので、たまに特集をしていると今になって素晴らしい人だった事が伺えます。
しかし当時はパパラッチに取られた事故写真が週刊誌に掲載され、英国内では大きな問題になったようです。
今回はダイアナ妃についての記事を書いていきます。
Contents
ダイアナ妃の事故の妃の出来事とは
パパラッチに追われコンクリートに正面衝突
1997年8月30日にダイアナ妃と恋人のドディ氏はチャーター機でパリ郊外のル・ブルジェ空港に到着し、宿泊予定のホテル・リッツから派遣された運転手とボディーガードに伴われて、5ツ星ホテルのリッツに入りました。
このホテル滞在中にダイアナはウィリアム王子から電話を受けているそうです。
マスコミから単独での写真撮影を依頼されたことについての相談の電話だったようですが、これが息子との最後の会話となってしまいました。

出典 fly-hallelujah.net
この日の夜はドディ氏とポンピドゥー・センター近くのレストラン「ブノワ」で夕食を取る予定でしたが、マスコミがレストランで待ち受けていたので中止し、結局夜9時50分頃にホテルの部屋の中で夕食を取りました。
パパラッチの行動はすごいですね(⌒-⌒; )
この事件を機にパパラッチという言葉がすごく広がった気がします。
その日の夜はドディのアパートで寝る予定でしたが、ホテル外で待ち構えているマスコミの数が急増していたため、ドディ氏とダイアナ妃は囮の車を何台かホテル正面から出した後、8月31日に入った0時20分頃、ホテル裏口から出てます。
乗車していたのはダイアナ妃とドディ氏、運転手のアンリ・ポールさん、ボディーガードのトレヴァー・リース=ジョーンズの4人でした。
4人を乗せた車は、追跡してきたマスコミの車をまこうと135キロから150キロという違法な猛スピードでコンコルド広場からアルマ広場へ向かいましたが、アルマ広場下のトンネルで他車を避けようとして運転を誤り、中央分離帯のコンクリートに正面衝突しました。
シートベルトを締めていなかったドディ氏と運転手のポールは即死し、ダイアナとジョーンズは重傷を負いました。(助手席のジョーンズただ1人が生き残ります)
なお、この事故では生存したジョーンズのみがシートベルトを装着していたそうです。
今ではシートベルトの装着は必須ですが、この時シートベルトをしていたらまた違っていたでしょう。
しかしパパラッチも露骨すぎますね(⌒-⌒; )
車を追跡していたマスコミたちと通りすがりの医師が第一発見者となり、医師が携帯電話で救急車を手配し、救急隊が到着するまで医師とカメラマンの一人がダイアナ妃の応急処置にあたりましたが、他のカメラマンたちは写真をとってばかりだったそうです。
救急隊は1時間かかって潰れた車の屋根を切って前部座席と後部座席に挟まれたダイアナを車外に出すことに成功し、最寄りのサルペトリエール病院へ搬送しましたが、ダイアナの頭部と胸部はひどい傷を負っており、すでに助かる見込みはありませんでした。
意識を取り戻すことなく、午前4時頃に正式に死亡宣告を受け亡くなりました。
またこの時救助をしなかったマスコミは、殺人罪と緊急援助義務違反の容疑でフランス警察に身柄拘束されたそうです。
ダイアナ妃は既婚でしたが恋人がいました。
女王の不倫はマスコミにとってはいいネタかもしれませんが、事故が起こった時処置をしていたら状況が変わっていたかもしれません。
この件で英国内では激しいバッシングが起こりました、当然ですね(⌒-⌒; )
ダイアナ妃の本物の事故写真と酸素吸入の写真掲載で英国内非難の声!
事故直後のダイアナの写真を掲載
今から11年前の2006年イタリアの週刊紙「Chi」が、1997年8月にパリで自動車事故により死去したダイアナ元英皇太子妃の事故直後の写真を掲載しました。
これに対して同元妃の息子ウィリアム、ヘンリー両王子は、「深い悲しみを覚える」と遺憾の意を表明し写真を掲載しないようメディアに求めました。
「Chi」が掲載したのは事故直後の車内で酸素吸入を受ける瀕死のダイアナ元妃の写真で、「最後の写真」のタイトルが付けられていたようです。
この写真は、フランスで出版されたばかりの「ダイアナ・犯罪捜査」という本から得たものだと説明しています。
両王子は声明で「母を守ってやれなければ、われわれは息子としての義務を怠ることになる」とし、メディアに対して「こうした写真の出版がわれわれや父をはじめ、母を愛したすべての人々をひどく傷つけることを理解してもらいたい」と訴えました。
母親の事故後の様子を写真を撮り続けられ、世の中に侵される気持ちは計り知れません。

出典www.afpbb.com
ですが出版側は「写真を掲載したのは誰も見たことがないという単純な理由からだ」と述べて、写真はダイアナ元妃の記憶を傷つけるとは思わないと主張しています。
またダイアナ元英皇太子妃の死因を究明する審問で、トンネル内の事故現場にいたカメラマンが同元妃の写真を合計30万ポンド(約7100万円)で売却するため、英紙に電話をかけていたそうです。
元妃を追っていたパパラッチの1人である同カメラマンは、大破した車の後部座席でぐったりしている元妃などを撮影した写真2枚を、大衆紙サンの写真部に送ったそうです。
このカメラマンはパリでロイターに対し、同紙とは連絡をしておらず、遺体の写真も撮影していないと主張しています。
「事故現場の写真を撮影しただけ」と述べ、自身が明らかに誰かと間違えられていると述べていたようです。
一方、サンの写真編集者はテレビのインタビューで、写真の提供を申し出る「少しパニック状態」の電話を受け取ったと述べ、写真には顔から血を流してぐったりしているダイアナ元妃や、酸素マスクを着けた元妃が医師の手当てを受けている様子が撮影されていたことを明かしました。
死因を究明するためなら提供したらいいのに、完全に金目的ですねo(`ω´ )o
そもそも追い続けたパパラッチこそが事故の原因だと思いますが、その行為に英国中からの批判がすごかったそうです。
それでなくても人気があったダイアナ妃の事故は世界中に衝撃を与えて、今でもダイアナ妃の特集が組まれています。
ダイアナ妃は亡くなってしまったが、今では二人の王子がダイアナ妃の思いを継いでいますね!
王族ですとマスコミに追われることも多いと思いますが、これからも国のために頑張ってもらいたいですね( ´ ▽ ` )ノ
まとめ
ダイアナ妃の本物の事故写真と酸素吸入の写真掲載で英国内非難の声をまとめますと・・・
- ダイアナ妃は恋人と乗った車で追ってくるパパラッチを振り払うために事故に遭い亡くなってしまった。
- 瀕死のダイアナ妃を救護せずに写真を撮り続け、週刊誌に載せたことで、王子や英国民からの避難の声がすごかった。
- また事故の死因究明のために7100万円で写真を売るといってきたカメラマンもいた。
母親の事故と、その後の名誉を傷つけられた家族の悲しみが癒えることはありませんね( ; _ ; )/
しかし亡くなってから20年経っても支持する人がいるというのは、いかにダイアナ妃が好かれていたのかが分かりますね!
ファションにもかなりのこだわりがあったというダイアナ妃の記事を、また別機会で書いていきたいと思います!